私自身のこと
こんなブログを見に来てくれた方、ありがとうございます。otaponです。
現在23歳、大学中退した私のことについて書こうと思います。ちょっと長いです。
色恋沙汰なんてほとんど無い、のんびりゲームする事が好きな少年。勉強はそれなりに頑張って筑波大学に入学。しかし大学の講義についていけずあっけなく挫折、以降自信を無くし自堕落な生活を送るだけの人間と化す。
現在は放送大学で心理学を学び、カウンセラーを目指している。
挫折までの道のり
どんな人でも、程度の差こそあれ、長い人生の中で一度や二度は挫折した経験があるのではないでしょうか。
私の場合はそれが20歳の時、情報学を学んでいた時でした。
学ぶ事の疑問
講義中、ふと考えてしまったこと。
「この勉強、何の意味があるんだろう」
「今やってる事、本当に私のやりたい事なのだろうか」
「きっとやりたい事じゃないんだ」
本当ならそこで一度立ち止まり、考えたことをまとめ、チェックするのですが、当時の私はそこまで頭が回ってませんでした。
人間とは不思議なもので、一度自分の考えが決まると、中々それを変える事ができないのです。
自分は正しい、間違ってない。そう思うようになり、周りの声なんて頭に入って来なくなるんです。勿論、そうでない人もいますが、私は前者に当てはまります。
そして、私は勉強を止め、だらだらと時間が過ぎるのを待つだけになりました。
この年必修の単位は取れず、留年。その後も自分を見失い、取得単位数4という酷い結果で2度目の留年。
どうして勉強に取り組めないんだ、と自分を嫌いになる事もしょっちゅうありました。
この時の私は、表面上は元気な大学生を繕っていましたが、心の中では“死んだら楽になれるかな”とかヤバいこと考えてたと思います。
休学する決意
休学する事について
このままではおかしくなってしまう。そう思った私は、2度目の留年の際に3か月ほど、休学をしました。
一般的に“休学”というのはデメリットが目立つ行為です。休学期間にもよりますが、例えば
- 学習進度が遅れる
- 一つ下の学年と同じになる
- 就職で突っ込まれる
ぱっと思いつくのはこんなところでしょうか。
学習進度が遅れる
休学中は講義を受ける事は無いですが、その間に他の人は勉強し、学んでいます。
大学によって変わるとは思いますが、筑波大学の場合、前期(春学期)開講の講義が、後期(秋学期)でも開講されているという事はほぼ無いです。
つまり、前期だけ休学し、後期で前期に開講されていた講義を探して受けよう、なんて事ができないわけです。
その場合は1年後に同じ講義を受けなければいけないので、半年分無駄になってしまいますね。
更に、前期の講義を受講し、単位を取得している事を前提とした、後期講義のようなものもある為、そういった講義はまず受講できません。
その分学習面で遅れが出てしまうので、中々つらいと思います。
一つ下の学年と同じになる
休学だけでなく、留年した時にも言えますが、人によってはこれが一番つらいのではないでしょうか。
後輩からどう思われるだろう、分からない事も後輩に聞くのは恥ずかしい。
そう思って一人で頑張ろうとして、悪循環に陥る人を何人も見ました。
自分の中のプライドや見栄がどうしても邪魔しちゃうんですよね。
就職で突っ込まれる
私は就職活動をしていないのであまり詳しい事は言えませんが、まず間違いなく休学理由は聞かれます。
金銭的な問題や心身の問題、病気などによる休学の場合、そうした事が就職後も起きるのではないかとネガティブにとらえられてしまう可能性があります。
一方で、インターンや留学など、スキルや経験を積むための休学であれば、それらを就活の際の武器にすることもできます。
私の場合、これらのリスクを許容したうえで休学の選択をしました。
何を目的としていいか分からず、ただ学費だけ払って無駄な時間を過ごすより、一度勉強する事から離れ、心の整理をする時間を取った方が、有効ではないかと判断したからです。
結果、この休学が功を奏したのか、4年目はなんとか単位を取れました。
ですが、既に留年2回に加え、主専攻を選ぶために必要な単位は足りず、卒業もままならない状況。
更に将来への漠然とした不安、やりたいことが無い、未だ取り払えない無気力感で、このまま大学で学ぶのか本気で悩みました。
色々考えた結果、翌年の前期を休学し、進路について考える期間を取りました。
この時に、私の将来を決める一つの出来事が起こりました。
友人の自殺
私と同じような境遇にあった友達が自殺した。そう聞いたのは、2回目の休学を担当教授に告げに行った時でした。
T君というその友人は、私より年上で、浪人して筑波大学に入学してきました。
その後色々と話す機会があり、同じ年に留年を経験し、お互い何とか頑張って卒業しようと奮闘、助け合いながら講義を一緒に受けていました。
ですが、4年目の11月ごろ、突然講義に来なくなりました。
その時にLINEで連絡を入れたりしたのですが、その後も既読はつかず、連絡が取れないまま。私は一人で講義を受けていました。
その後休学を告げに教授の元へ行き、何気なくT君はどうしてるかな、と口にした時、教授の口から
「T君なんですが…実はマンションから飛び降りて亡くなりました。」
亡くなったのは、11月。講義に来なくなった、あの時期。
自分を責める
自殺した事を聞いた後というのは、不思議と冷静でした。その後、時間をおいてから、色々な事が脳内を駆け巡り始めるわけです。
あの時LINEじゃなくて、電話していたら。
もっと色々な話をしていたら。
直接会いに行っていたら。
もしかしたら、私のせいで…?
とにかく自分を責めました。どうしようもない事だとわかっていても、何かできたんじゃないか、と。
私が一緒に講義を受けてた時や、食事の時も、特に悩んでいた様子もなかったはず。私が気付いていなかっただけなのかもですが。
大学中退と新たな進路
その後、私は9月いっぱいで筑波大学を中退。そして翌月から、放送大学の心理と教育コース3年生として編入学しました。
中退した後から現在まで
中退する事を両親に告げた時は、反対されました。
今までの大学生活は何だったんだ、金が無駄になった、お前の考えは甘い、etc...
色々と言われましたが、私の考えを伝え、1か月かけて退学許可をもらいました。今までで一番自分と向き合った時期かもですね。
その後無事に退学し、放送大学に学び舎を変更しました。今までとの大きな違いは、通信制であること。
人との直接的な関わりが大きく減りますが、その分今までよりも、人と出会う事の意味、関わることの大切さを改めて考える事ができるのではないかと。
ずっと同じ人と毎日会ってると、人の変化って意外と分からないものですから。
また、今まで学んでいた情報分野から、心理、教育の分野へシフトしたこと。
これはT君の自殺が大きく関係しています。
今でも、あの時T君の自殺を止められたのではないか、と思う事はあります。でも、私にはどうする事もできなかった。
それならば、同じような出来事が起こらないように、私にできる事は無いか。
そうして考えた結果、カウンセラーという職業を目指すようになったのですが、その辺りは後々しようと思います。
最後に
こんな私の体験でも誰かの役に立てば、と思ったのと、私が過去を忘れないように、長い文章をつらつら書きました。
今後も大学生活で思った事やネットの事、心について書きながら、細々とブログを続けていきたいと思います。